中央社記者 施婉清 台北13日専電 長年台湾に定住しているイスラム文化学者の初雅士(オスマン・チュブク)氏が中央社の取材に応じ、中東の荘厳なコーラン朗読から台北の街角における多様な信仰までを語り、文化や宗教の境界を越えて、台湾社会におけるイスラム教への理解の変化を証言した。たとえば、ハラールレストランや礼拝スペースが増加しており、ムスリムの台湾生活はより便利になり、社会における存在感や理解も高まっているという。
初雅士(Osman Çubuk)氏は、トルコで高校を卒業後、中東のイスラム世界で最も権威ある教育機関であるアズハル大学(Azhar University)に留学した。彼は「アズハル大学は、アラブ世界で最も古く、権威あるイスラム学術センターです。多くの宗教的見解や出版物は、ここでの承認を必要とします」と当時を振り返った。
しかし、その学問の殿堂での学びは容易ではなかった。初雅士氏は、「1学年に1度しか試験がなく、失敗すれば次はない。多くの学生が6~7年かけてようやく卒業する中、私は4年で学位を取得できたのは稀なケースでした」と語る。彼は当時を「生活は非常にシンプルで、授業と帰宅だけ。しかし、街全体が宗教的な雰囲気に包まれていた」と回想する。
カイロの街中では、店舗やバスの中で長時間にわたりコーランが流れており、モスクからの朗読音が拡声器を通じて地域全体に響いていた。「まさに信仰に浸る環境でした」と、初雅士氏は懐かしむ。
卒業後、彼は東方の宗教体系を理解するために台湾に渡り、宗教研究を進めた。「異なる宗教が世界をどう見ているかを知りたかったのです」。
台湾では政治大学国家発展研究所で博士号を取得し、宗教学を専門とする。現在は台湾イスラム研究学会の常務理事を務め、台湾大学外文系の兼任講師として、アラビア語、トルコ語、イスラムの歴史と文化を教えている。
イスラム教と台湾で一般的な仏教、道教、民間信仰を比較する中で、初雅士氏は、イスラム教が一神教であり、唯一の神の啓示と規範を強調するのに対し、東方の宗教は多神教的あるいは哲学的体系に近いと指摘する。
さらに、イスラムの宗教実践には強い社会性があると分析する。集団礼拝、天課(チャリティー)、巡礼(ハッジ)などは、共同体のつながりと社会的責任を重視する。一方、東方の宗教は瞑想や断食など、個人の内面的修行に重点を置く傾向がある。
初雅士氏は、「イスラムは生活そのものであり、宗教が生活の一部ではなく、生活が宗教の一部なのです」と強調する。イスラム教は信仰行為だけでなく、食事、経済、政治、社会関係までをも規範としている。
一方、台湾の宗教は多様性が特徴で、柔軟な形で共存しており、個人の生活に全面的に介入することは少ない。これが、台湾の生活様式の柔軟性を生んでいると彼は分析する。
20年以上の台湾生活を通じて、初雅士氏は文化の違いによる誤解にも気づいている。イスラム教がまだなじみの薄い台湾では、多くの人が「なぜ豚肉を食べないのか」「なぜ断食するのか」「一夫多妻はなぜか」といった質問をするという。
しかし、グローバル化や移民の増加、台湾政府の新南向政策の影響もあり、近年では理解が進んできたと彼は実感している。「20年前と比べ、台北の街中でヒジャブを着用する女性の移住労働者や留学生をよく見かけるようになり、ハラールレストランや礼拝スペースも増えました。これにより、ムスリムの生活は格段に便利になり、社会での可視性も高まっています」。
一方で、彼は新たな課題も指摘する。台湾のムスリムコミュニティは依然として少数であり、宗教教育の資源が不足しているため、次世代の信仰継承が危ぶまれると懸念する。
初雅士氏にとって、異なる文化間の対話の鍵は「相違点を強調するのではなく、背後にある価値観の論理を理解すること」だと語る。「どの宗教にも独自の世界観があります。大事なのは、それを理解しようとする意志があるかどうかです」。
彼の目には、宗教は信仰以上のもの、すなわち世界と他者を理解する方法そのものに映っている。トルコからカイロへ、そしてカイロから台北へ。初雅士氏は、この越境の旅を通じて、台湾において多文化共生の架け橋となっている。(編集:唐聲揚)1150613
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- 出典:中央社 CNA
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